「仲間」っていますか?
酒飲み仲間
仕事仲間
同級生仲間
サークル仲間
私、仲間って言葉、嫌いでした。
文化祭とかであるじゃないですか。
今年のテーマは「絆」です。みたいなの。
高校2年生の時の文化祭が、まさに、「絆」がテーマだったんですよね。
「絆とかwww」さっぶいこといってんなーって思ってましたし
体育祭とかのダンスでは、後ろの方で目立たず、できるだけ動きを小さくして、存在感消すタイプでした。
当時、私は相当スレた女子高生だったんですね。
というのも、これもやっぱり親の影響がデカくて。
ようは、否定されまくって育ってきたので、
感情を「無」にする文化が心の中に根付いていたんです。
例えば、たまに家の家事とかを手伝うと、
「なにしとん?普段なんもせんくせに気色悪いなー」って言われたり
感動する映画とかアニメとかみた時に、「ポロリ」って涙流すと
「えー、なんでこんなん見て泣くん〜。恥ずかし〜」って、ちゃかされたりとか
今思うと、いちいち否定しかしてこないとんでもない親だな。
って思えるのですが、
幼い頃からずっとそんな感じだったし、今でもその節はあるので
無意識に心を「無」にするクセがついていたんですね。
親には絶対自己開示しないので、たまに親に恋愛相談する友達とかいると、
「そんな世界線あるんかー」ってビビります。
そういう背景があり、厨二病が掛け合わさってて、スレた女にさらに磨きがかかり、
大勢で群れることとか、
感情を表に出しすぎることを全力で押さえ込んでいました。
大学卒業して、一応大手企業に入社するも、同期会にはほぼ出席せずに
「同期旅行行こうぜー」みたいな話になっても、「用事あるから」って嘘ついて行きませんでした。
こんなこと言うと、常に1人だったと思われるかもしれないですが、
その場その場で一応の友達はいました。
だけど一生の友達って言える人はほんとに1人か2人。
まじで仲間いないし、誰も周りに集まってこない孤独なやつです。
今思えば、ほんと、クソつまらん女だったなあって思います。
「仲間」とか「感動」とか「エモい」とかって言葉に鳥肌立つタイプでした。
だけど、ほんとは同期旅行に行ってはっちゃけたかったし
体育祭では1番目立つ場所でバカおどりかましたかったし、
動物のドキュメンタリー見てうるうるしたかった。
素直じゃないからできなかったんです。
「どうせ、私の感情出したところで誰も得しないし、喜ばれない」
それが、今回、
SNSでバンバン稼いでいる人たちが10人以上集まってのワーケーション。
ぶっちゃけ行く前は、「こんならしくない(仲間旅行的なこと)ことして大丈夫だろうか・・・」
と不安しかなかったです。
が、人間、圧倒的非日常を前にすると、「性格まで変えられるんだなあ」ということに気づきました。
ついに、言っちゃっていいですか?
「マジで超エモい・・・」
「エモーショナルの極み」
「サイコーやんけ!」
家・・・というよりもはや
なんちゃら会館レベルの大豪邸。
庭?というか、園庭に温泉ついている異常事態に、脳が処理しきれずフリーズしました。
サウナまでついている始末・・・
おいおい、貸切だと?
これはさすがに、騒がずにはおれんやろ。
というわけで、
私はふと、とあることを決意。
「あ、こればっかりは、素直に楽しもう」
というか、超楽しんでる姿、子どもに見せるつもりでいようって決めたんですね。
実は、今回娘と夫は快く送り出してくれたんですが、
やはり多少の罪悪感もないわけではないのです。
だけど、そんなもの感じたところで、
なにか変わるわけでもないし、「みもさんと関わったらたのしー」って思ってもらう方が得だし
もし娘が隣にいたとしたら、どういうふうに見せるだろう?とか思ったんですよね。
あと、これは素直にそうなんですが、一緒にいた方たちと、シンプルに波長が合いすぎた。
全員同じネットで稼いでる勢だし、ある程度結果が出てるから、マインドも高い。
なにより、話があう。
会社員で働いてたら絶対に「ポカーン」な内容で盛り上がるし
笑いのツボとか共通言語がばっちりハマる感じ。
コンフォートゾーンとラーニングゾーンが絶妙にまじわる
スーパー居心地いい空間でした。
この人たちと素直に楽しい、幸せな時間過ごしたいなーって思った。
そしたら、
「スレた自分」とか「絆で鳥肌立つ自分」とか、いらんなってなって
秒で捨てたんです。
ようは、今までの価値観を捨てて、新しい価値観作ったんですね。
抽象的すぎて何言ってんのかわかんなくなってきましたが、
とにかく「楽しんでる自分」を作って、超楽しむことにしました。
そしたら、
「やっぱみもさんってすごいですよね」
「早いですよね」
「ハングリーですよね」
って肯定されまくるようになって、さらに自己肯定感まで上がったんです。
女性は子どもを産んだら、行動面でも、精神面でもたくさんの制限がかかってしまって、
深層心理で「本来の自分」を取り戻したい欲望があると言われているんですが、
結局「本来の自分」なんてものはなくて
見せたい自分になろうと思えばいつだってなれるし、
やりたいことだって、やろうと思えばなんだってできるんですね。
「本来の自分」ですら作れるんです。
ちなみに、こういう価値観とかも
私の中にもともとあったものとか、中からわきでてきたものとかじゃないですし、
むしろ、メンターに出会ってから、「あー、そういうことかあ」と気づかせてもらったものとか、
今回ワーケーションでいらしてた、コーチング歴10年以上で、月100万、200万をバカスカ稼ぐ
プロの先生から教えていただいたものだったりします。
つまり、
価値観とか性格って、先天的なものじゃなくて、
後天的に「作れるもの」なんですね。
「私はどうせ陰気だし」
「素直じゃないし」
「弱いし」
「泣き虫だし」
っていうのは、自分で作ってるだけです。
自分はこういう性格だから・・・
で、素直になれないのは、単に逃げてるだけ。
素直になれない自分に酔っているのです。
「こういう自分を受け入れてくれる人がいるはずだ」っていう甘えです。
そういう人ってしばしば、承認欲求が高かったりするんですが、
むしろ、それがチャンスだったりもします。
というのも、これは自分が承認欲求強いから言えることで、
行動ひとつ、笑顔ひとつ、言葉ひとつで「自分の性格」も「周りの反応」も変えられるんですね。
- 性格も
- 価値観も
- その場の空気感ですら
すべては、あなたが思うままに、作れてしまうんです。
結果、それが相手や周りを楽しませるのか、
はたまた陰気な空気にしてしまうのかは、あなた次第ということ。
例えば、こういうワーケーションの記事見て
「くー!悔しい」
「こんな経験してみたい!」と思うハングリーな人はそのまま突っ走ればうまく行くし
逆に
「どうせこんな経験自分にはできませんよーだ」
「見せつけるためによくやるよなー」
とか思ってる
スレた昔の私みたいな人は、残念ながら一生そのままの可能性が高い。
ただ、それも一つの価値観を「自分で作っている」にすぎないんですね。
スレた自分がいてもいいし、素直な自分を作ったっていい。
そう思える人は強い。今からだって、何歳からだって、性格変えられます。
話があっちゃこっちゃ行きましたが、
この旅で私は自分の性格を大きく変えましたし
今やってることが「間違いない」という確信も持てたし、
私の周りを幸せにしていく覚悟が強まりました。
たぶんの記事でいろんな感情が生まれる人がいると思います。
そうやって、私の発信を見て、なにかを感じて、動き出す人がいたらいいなと思いながら書いてるから
やめられないんですよね。